社会一般のための一般科学 5

詳しい総括抜きでは、STS教育のこの部分を公平に扱う事は出来ません。


しかし、2つの主要原理を銘記しておく必要があります。


第一に、STSコースは、科学的なものかどうかを間わず、個別の科目を結合し、たがいに近づける事によって、生徒の全カリキュラムを本当に豊かにしなければなりません。


学生にとって、大学の他の学部で学んでいるどの科目とも異なる、特徴的な学問的意味でのもう一つの「科目」に見えるようにしてはなりません。


このことから、教授たちは、学位全体に純粋に学際的な香りを与えるために、しかるべき学部間協力、協同を果たす責任が生じるのです。


これはまたSTSコースの中でのトピヅクの選択や教授技術を支配します。


例えば、学生が何年もの問学んできた自然科学の手法と明らかな関連を全くつけずに、すべてを社会科学の理論と実際から引っ張り出すのは不適切だからです。


第ニに、STSは分野あるいは職業からの制約を受けないことは、教師たちが自分の道楽用の馬に乗ってよいという許可ではない、という点です。

社会一般のための一般科学 4

科学政策を学ぶことによって生じる政治的・経済的問題は、標準的な学部の分類にきっちりとあてはまらず、大学の持つ様々な学部全体に広がります。


科学論的原理は、すべての科学の分野の歴史の中で同じだけ例を示してくれます。


高校高学年におけると同様、科学者と非科学者をまとめて同じ足揚に立たせる一般教育課程の材料として、STSは理想的です。


STS運動の見地からすると、これは教育上の実験、革新にとってきわめて魅力的な揚です。


職業的あるいは分野上の制約はきつくはありません。


つまり、生徒は科学的あるいは文化的情報のある特定の項目をよく知っていなければならないとか、彼らを知的に高い水準に合わせておかなければならないとか・・・


また、彼らはある特定の手法に秀でていることを示すべきであるとか主張する事は出来ないのです。


広い範囲の可能性は、実際に教えられたり、またこの目的のために提案されたSTSカリキュラムの多様性に反映されています。

社会一般のための一般科学 3

中学校で理科を教えるために教育されている学生ですら、科学の諸分野をそれぞれ別の科目として学ばなければならなかったのです。


一般学位における科目の広がりは、教育手段としてはきわめて高い価値を持っています。


しかしそれも、自然あるいは人聞に関する出来事に関して、広い統一された視野を与えるように統合されていて初めて、価値があります。


この種の課程のほとんどにおいて、個々の科目を「豊か」にし、「統合する」ために一般科学の要素が含まれていなければならない、と考えられています。


科学教育の体系において、この点にこそSTS教育がしっかりと確立され、制度化されるべき一つの場所です。


この統合の役割に対して、STS教育がどれほど適しているかについては、多言を要しないでしょう。


STS教育の精神の本質は分野を越えることです。


社会のかかえる諸間題からのアプローチは、食糧資源あるいは環境汚染といった現実の問題を取り扱うためには、化学、遺伝学、生化学といった個別の科目をどのように結合しなければならないかを示した。

社会一般のための一般科学 2

過去20年間における高等教育の拡張によって、この種のコースは大学でのカリキュラムからは駆逐される傾向にありました。


しかし、工専あるいは教員養成大学の学生の多くは、この種のコ般科こないし「総合科目」のコースを、優等学位の水準で、もしくは(あるいは現代イギリスの大学教育システムの特別の用語ですが)通常学位のやや低い水準で取っています。


しかし単なる折衷主義では不十分です。


学生がお互いに無関係なごたまぜの選択科目の組合せ・・・


例えば細胞生物学、位相幾何学、文化人類学、コプト語、創造的作文といった単位の組合せで卒業できるような制度には大した教育的価値はありません。


全く共通点のない2つの分野を、例えば「物理学および歴史の合同学習」、あるいは「文学と気象学」といったように、見かけ上一体化させてみても良いことはありません。


学習を「結合する」、「統合する」という意図はをの教育目的にとって不可欠です。


伝統的な一般科学学位の弱点は、知的には同系統のものでさえ、種々の科目の間の結合がいつも欠けていることでした。


例えば、数理物理化学や化学工学といった、これらの個別の手法が結合されるべき分野には一言も触れずに、Aレベルの揚合と同様、物理、化学、数学の各々の分野を別の科目として学習しなければならなかったのです。

社会一般のための一般科学

すでに知識の最前線へと進みつつある優秀な学生たちのために、この種のコースを準備する事ほど、真面目なSTS学者にとって、やり甲斐のある知的挑戦はないでしょう。


旧来の科学哲学では、科学知識として認められるものは帰納と検証、反証と言った定まった方法に従うものだけであるとされてきました。


又、科学社会学でも科学者の従うマートンの規範が強調されてきましたが、今日では現実の科学がこれから逸脱していることの事例が多く報告されています。


理科系の卒業生の多くは、高度の科学知識を直接使う事がほとんどないような場所・・・工業、国および地方自治体機関に就職します。


小学校・中学校・高校の教師となる理科系卒業生でさえ、Aレベル以上の科学教育で得た知識を特に使う機会はめったにありません。


科学教育のシステムは、この大多数が本当に必要としている教育を十分には考慮しません。


伝統的には、彼らの大多数も研究を指向しているかのように、妥当な科学のピラミッドの頂点に出来るだけ近づくように引っ張って来ました。


・・・しかし、学生が何とかついていけるならばよかろうと、一つの専門科目の方向に引っ張っていくよりも、いくつかの異なる科学の(あるいは科学でないものの)科目が選択できるような、より一般的なコースの方が、レベルは低くても彼らの要望によく合致するのではないか、ということは前から常に認められていました。

社会と教育 4

もし中学・高校や学部カリキュラムの初期に一般STS教育がなされていたら、学生は研究職に対してよりよく準備できたでしょう。


・・・勿論その結果、現代科学の本質について全く非現実的なとらえ方をしていた若干の研究職希望者を落胆させることにはなるでしょうが・・・。


それはそれとして、優等学位の最終年度に研究開発(R&D)システムに直接進むべきかどうか、と考えている学生あるいは、工業、実業、政府などでこのシステムの生み出すものと関わりを持ちそうな学生の両方に対して、職業としての研究に関するより進んだコースのカリキュラムのあらましを示す場が与えられます。


・・・こういったカリキュラムをスケッチするのは易しいことです。


そのカリキュラムは、いわばSTS研究の「個人的」方法であり、もっぱら個々の科学者と職業上の同僚、科学の情報伝達機構、研究装置、行政機関、企業の経営者、一般の人たちとの関係を扱うものです。


別の言葉で言えば、このカリキュラムは、それぞれに活発に関与している人から見た研究開発(R&D)システムの主要な側面の大部分、心理的、認識論的、社会学的、経済学的、政治的、文化的な側面を扱うものでしょう。


もしこの種のコースが、教育の初期の課程でなされたSTS教育のしっかりとした基礎の上に立てられれば、科学の核心に位置する研究結果に対する信念の基礎についての深遠な問いを巡る議論を通して、一層完全で学問的なものとなり得ます。


この場合、コースはおそらく選択となるべきでしょう。

社会と教育 3

博士号ですら、大学や企業での研究職に終身雇用されるための十分な資格として、信頼することもできません。


若い研究者が地位を終身保証される前に、長年研究に深く関わり、その祉会的側面に十分に関わることも起こり得ます。


この期間、科学者集団の基準と慣習は苦い経験によって、あるいは逸話的な事件ないし先輩からの非公式な助言によって学ばれます。


この研究の手腕や伝統の、世代から世代への伝達が、例えば博士号の取得の条件として、理論的あるいは実際的科学論の試験などをつけ加えることによって、より正式なものとなされるべきである、という主張は大きな誤りです。


現代科学哲学は、「科学の認知手段はただ一つでない」と主張するように、科学社会学は科学者集団の規範は命令的な強制力を持つと見なされるべきではなこと主張します。


研究過程においてきわめて重要な社会的構成要素を認めることができる、という事実そのものが、このきわめて微妙なわざを学ぶ際に、それを重い手で妨害してはならないと警告しています。


それにも関わらず、学部での勉強から大学院での研究への移行は、多くの人にとって大変な佃人的経験です。


もし学生が来るべきことについてもう少しましな考えを持っていれば、このショックは幾分軽減され、移行がもっとスムーズになる、と望むこともできるでしょう。

社会と教育 2

コースの基本的目的は、技術上の手腕を伝える際に、非公式に教師から学生にすでに洩れ出た、人間および社会の出来事に関する実際的な英知を、より一般的な形ではっきり示すことだからです。


科学技術の分野における研究は、それ自体、STSコースの形で慎重な準備教育がなさるべき職業と見なされ得ます。


職業としての科学者の生活の全体的傾向は、官僚的手続きが見えない大学の「隠されたこと」にとって代わり、より明確な制度的構造を持つ方向へと変化してしまったことにあります。


昔ながらの大学の研究においても、建築や外科手術と同じように予測できない、訳がわからないような行動、社会の慣習、倫理的ジレンマについての規範があります。


本当に野心的な研究者は、自らの職業への心理的、社会的側面についても準備しなければならないのでしょうか?


この間題は・研究職にどの時点で入るのかはっきりしていないために、旧来の科学教育体系ではうやむやにされています。


一方では良い成績で卒業しようという理科系学生は、修士または博士を日指す全日制大学院に入ろうとしているか・・・


もしくは企業・政府の研究機関で研究者の見習いを勤めはじめようとしていると実際上考えることができ、従ってすでに研究職へのしきいを越えようとしています。

社会と教育

日本の教育問題について考えていきます。


職業的実践の現実の状況を教えるコースに関連させ、そしてこれらを見る場合の種々の視点・次元に再び注目し、より抽象的かつ一般的原理をめざして外向きに努力する方が適切でしょう。


実際、これは全学部の全てのメンバーが参加できるような教育です。


問題は彼らの技術であり、その科学面の教育を他人に押し付けることが出来ないように、その社会的側面についての教育の責任を外部のエキスパートに押し付けることはできません。


技術革新の経済学や、大量生産技術の歴史についてのほどほどの理解は、機械工学の教授にとっても理論破壊力学や熱力学の教授にとっても、教えるレパートリーの一つでなければなりません。


だからこの種のコースは、一つのモデル的カリキュラムの中に閉じ込めておくことはできません。


この種のコースは、各学科、学部において、学生の将来の進路に合わせて、そのスタヅフの興味や教養から作られなければなりません。


もちろんこのコースは社会科学の学問的水準に照らして、信頼でき、まっとうなものであるべきですが、速効性及び基礎的な社会への洞察を犠牲にしたものであってはなりません。

宗谷岬

私は、6月の末に宗谷に行ったことがあります。


札幌ツアーで人気の札幌ではひと月も前にライラックの花がさき、すでに初夏の花々が原野や森をうずまいているのに、宗谷はまだ緑が去年の枯草の中に沈んだままでした。


雪解けの匂いのしそうな風が、棘々しいハマナスの枝を吹いていたものです。


訊ねてみると、風景が緑になるのは7月で、9月の末にはもう霜がやってくる、ここで完全な緑の季節は僅か3ヵ月だというのでした。


「七月の初めだと言うのに、窓外の風景は冬のように暗麗である。


風景ばかりではない。


気温も到底初夏とは思えない。


汗は全く出ない。


窓を開けていると、首に当る風が冷たく感じられるくらいだ」。


・・・井上靖はその作品『魔の季節』の中で、宗谷の夏を描いています。


宗谷の夏は何か悲しくわびしいものです。


かえって流氷が寄せて、まぶしく白銀に輝く真冬の頃の方が、陽が照っていれば目を細めさせるものがあります。


この岬はしかし、ここまで来る途中の、人間の愛やあたたかさを一度も経験したことのない、非情な湿原や砂丘とはちがって、意外なほと人間の悲しみももろさも、吸いつくしている風景なのです。


しかし、その痕跡も今はすっかり風雪に荒れはてて、そんなことがあったかしらというように見えます。


文化3年(1806)、露兵が、当時北蝦夷と呼んだサハリンの、日本人漁場を荒しました。


その頃宗谷の岬はサハリンへの渡り口であったので、津軽と会津の藩士たちがこの地の警戒に当たりました。


北の生活になれない藩士たちは、次々と壊血病に塊れ、空しくこの凍土の下に骨をうずめました。


宗谷の護国寺跡にはその藩士たちの墓石が、風化して残っています。


ここに場所の開設されたのは、貞亨年間(1684~1688)といわれています。

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